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祈りの家④ 祈りの家スタッフの証「これまで」




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タイトル

​祈りの家との出会い

『A-net247』という名前の意味

祈りの家とは。ーどうして今「祈りの家」なのか。

​祈りの家スタッフの証 「これまで」←今回はココ!!

祈りの家スタッフの証「これから」


A-Net247祈りの家フルタイムスタッフ、祈りの宣教士の京野雅子です。

スタッフの証しとして 今回はこれまでの私個人の証し、次回は祈りの家の現在とこれからのことを証しさせていただきます。

(左から、祈りの宣教士 京野雅子姉、伝道師 工藤さおり先生、2021年祈りの家卒業の愛姉)



〇礼拝を守りたい!から祈りの家に

 私は、2016年に献身するまで29年間、県立病院で看護師として働いていました。

クリスチャンになって結婚してその後、10年間の放蕩生活をして、神様の元に戻りましたが、教会生活を再開した私の悩みは、礼拝を守ることができないということでした。

看護師はシフト制の仕事なので、日曜日の主日礼拝、木曜日の祈祷会も必ず出席できるという現状にはありませんでした。

みんなが、当たり前のように守っている礼拝をわたしは守ることができないということが、私にとってはとても寂しく、悔しいことでした。

神様に、礼拝に行かせてくださいとどんなに祈ったか、わかりません。勤務先でも、上司に頼みこんで、礼拝に出ることができるような勤務表を作ってもらえるように、部署も日勤だけのところに変えてもらえるように頼みこんだり、いろいろと自分で画策しました。

 それでも、日曜日に仕事が入った時には、牧師に早天礼拝をしてもらいました。

勤務先の病院に向かう車中で、どうしてわたしだけ、仕事に向かわなければならないのかと泣きながら病院に行ったことも思い出します。

 それほどに、礼拝に飢え渇いていました。

せめて、子供が大学を卒業するまでは、なんとか親の責任を果たしたいと思い、生活のために働きました。

 そんな頃に、グレイスチャペルで祈りの家の働きが始まりました。韓国から祈りの家の学びにきてくださった時にも、仕事の合間を縫って、教会での学びに参加しました。

仕事の合間の休憩の時には祈りの家のスケジュールを見て、今の時間は教会で何がなされているかと確認しながら、私も祈りの家にいたいと漠然と考えていました。

夜勤の前は、祈りの家に行き祈り、そこから出勤し、休みはほぼ祈りの家にいる。

そんな生活は私にとって、楽しくうれしい日々となりました。

 ある日、夕方から夜勤に入る日の日中、仕事前に祈りの家で祈っていました。さおり先生が賛美をしているその御座の前で、雅歌書8:10-13「私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。さあ、私の愛する方よ。野に出て行って、ヘンナ樹の花の中で夜を過ごしましょう。私たちは朝早くからぶどう畑に行き、ぶどうの花が咲いたか、ざくろの花が咲いたかどうかを見て、そこで私の愛をあなたに捧げましょう。恋なすびは、かおりを放ち、私たちの門のそばには、新しいのも、古いのも、すべて最上のものがあります。私の愛する方よ。これはあなたのためにたくわえたものです。」この聖書箇所から神様に語られ、私もこの花嫁のように、神様のために自分の残りの人生を捧げたいと思いました。

そして、娘の大学卒業と同時に看護師をやめ、献身をすることを決めました。

献身といっても、自分の中にどういう形で献身をするのかは全く考えていなかったのですが、牧師からは神学校通信科入学のチャレンジもいただき、神学校での学びと、フルタイムでのレビ人の働きをさせてもらうことになったのです。



〇祈りの答えとしてのA-Netの働き

 3年の神学校の学びを経て、今では6年間祈りの家のレビ人として、礼拝、賛美を守ってきました。KHOP(KoreaHouseOfPrayer韓国祈りの家)仕込みの3時間の叫ぶ祈りも続けてくることができました。

今、ここまで来て驚くことは、あんなに礼拝に飢え渇いていた私は、今では誰よりも礼拝と祈りを任せてもらっているという現実です。

それほど優れている賜物はないこんな私ですが、平日の礼拝も、祈りも、主日礼拝でのご奉仕も、こんなに多くの礼拝を神様に任せていただいているなんて驚き以外の何ものではありません。

主日礼拝と祈祷会を守りたいと泣きながら祈ったその祈りは、神様に届き、日曜と木曜の礼拝を守ることだけにとどまらず、それ以上に多くの礼拝と祈りの時間を与えてくださいました。

その主の誠実さと、偉大なご計画に感動します。

 神様は私の願いと思いをはるかに超えて施すことのできる方であると、みことばの約束のとおりにしてくださったことをほめたたえます。

祈っても答えられないかのように思えたあの日々があったからこそ、今の私があるのだと思わせられています。

 祈りの家に誰が来ても、来なくても、礼拝、賛美を守り、祈りを守り通すことができるのは、あの礼拝に飢え渇いた日々を通ってきたからなのだと、心から感謝しています。



〇そしてこれから

 祈りの宣教士の名をいただき、今までよりいっそうとりなしをしていきたいと心新たにしています。

 主を慕い求めて礼拝、賛美し、世界中を祈りでとりなすことのできるレビ人となっていきたいと思っています。

 A-Netのフルレビたちにも、それぞれの人生のシーズンがあり、しばらく一人で祈りの家を守ることも多かったので、さらに祈りの家のレビ人の召しを受けた方々が加えられていくように、そしてこの祈りの家の祭壇の火が燃え続けていくように励んでいきたいと思います。

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